北京は特別な街
ブログで情報発信したいこと。
北京、故宮から始まる物語
北京は私にとって特別な街です。転勤族として各地を転々としてきた私は、一つの街に長く住むことがありませんでした。過去を振り返ると、2年から3年に一度は引っ越しを伴う異動があり、日本国内の多くの街を渡り歩きました。しかし北京だけは、すでに十年以上住んでいます。
私が初めて中国を訪れたのは学生時代で、目的地は北京でした。1990年代初頭、私は学生で、日本はバブルの終焉期にありました。さまざまな遊びに飽きていた私は、好奇心から中国へ行ってみることにしました。
旅のきっかけは当時観た映画『ラストエンペラー』です。故宮を一度見てみたいという思いから、幼馴染と二人で一か月の中国旅行に出ました。
「扉のないトイレ」「自転車」「人民服」
中国という国をあまりにも知らなかった
映画『ラストエンペラー』は清朝と満州帝国を描いており、現代中国を知る材料としては限りがありました。
当時、私や多くの日本人が中国に抱いていたイメージは、「扉のないトイレ」「大量の自転車」「人民服」「四千年の歴史」「何でも食べる」といった漠然としたもので、身近に実際に中国へ行ったことがある人は一人もいませんでした。
日経新聞や読売新聞を読んでいましたが、紙面で中国が取り上げられることはほとんどなく、外国といえばアメリカの話題ばかりでした。スマートフォンどころかインターネットも普及していない時代、頼りになったのは『地球の歩き方』だけでした。
私の中国に関する情報源は、『ラストエンペラー』、中国人の友人の話、『地球の歩き方』に限られていました。英語も中国語も話せない私は、その程度の情報だけで中国へ旅立ったのです。
リアル中国は驚きと苛立ちの連続でした
旅は苦労の連続でした。まず通貨の仕組みが理解できませんでした。当時、中国には外国人向けの「外国人紙幣」と、一般の中国人が使う「人民元」の二種類がありました。トラベラーズチェックを中国銀行に持っていくと、レートに応じて「外国人紙幣」が渡されました。しかしこれが曲者で、訪中する外国人が少なかったため、普通の中国人は「外国人紙幣」を見たことがなく、売店で水を買おうとすると「偽札だ」「お釣りがない」といった理由で断られることが何度もありました。見慣れない紙幣を前に、店の人が何を言っているのか聞き取れず、非常に不快な思いをしました。
また、ホテルなどでは外国人価格が当たり前のように設定され、地元の人の料金の倍近い値段を請求されることもありました。意味がわからず腹が立ちました。冗談半分に「もし私が日本の総理大臣になったら、日本国内で『中国人価格』を設定する法案を作って仕返ししてやろう」と密かに心の中で思っていました。
毎日口論、なんも思い通りにならねぇ!
経済格差と社会インフラの混乱が招く苛立ち
当時の中国では、経済格差に加えて、社会インフラの未整備や習慣の違いが日常の不便や苛立ちを生んでいました。給料水準の差から生じる不信感に加え、鉄道の切符購入や駅での行列といった運用上の混乱、窓口での冷たい対応などが重なり、旅は驚きとストレスの連続でした。
まず賃金の差です。普通のサラリーマンの一か月の給料は200〜300元程度で、当時のレートで約5,000円に相当しました。大学生の私が夜のバーで稼ぐ2時間ほどの金額にすぎず、日本との格差は非常に大きく見えました。そのため、外国人が大金持ちに見え、だまそうとする人がいたことも事実です。私自身も何度かだまされ、多額を失った経験があります。
次に社会インフラと習慣の問題です。切符は窓口で買う必要があり、片言の英語しか話せない外国人には冷たく「没有(ない)」と言われることがありました。初日は戸惑い、二日目には不満が募り、三日目の「没有」を受けて我慢できずに抗議したところ、もめた末にようやく切符を手に入れました。
切符売り場の行列も大きなストレス源でした。朝の駅には長い列ができる一方で、平気で横入りする人が多く、横入りを防ぐために並んでいる人が前の人の肩を掴む光景が続きました。知らない後ろの人に肩を掴まれ、私も仕方なく前の人の肩を掴む――そんなやり取りが延々と続き、切符を買うだけで疲弊しました。田舎の小さな駅では特にその傾向が強く、大都市では外国人が優遇される場合もありましたが、全体としては混乱が目立ちました。
券売機があればもっとスムーズに切符を売れるはずだし、知らない人に肩を掴まれるようなことも起きないだろう――そう考えると余計に腹が立ちました。しかし、こうした経験を通じて現地の事情や人々の暮らしが少しずつ見えてきたのも事実です。
初めての寝台車
筆談で交流。最後はハグしてお別れ
そんな中国でしたが、寝台車に乗ると、当時は外国人が珍しかったのか、すぐに近くの席の人と交流が始まりました。電車内ではどこでもタバコを吸う人が多く、友達になるきっかけは「たばこ、どうですか」と勧め合うことでした。私も当時は喫煙者だったので、そこで小さな仲間意識が芽生え、日本人ということで好意的に受け取られることもありました。やがて筆談での交流が始まり、「どこから来たのか」「どこへ行くのか」「仕事は何か」といった本当に他愛のない話を交わしました。電車で20時間も揺られながらの筆談は意外に楽しく、中国の社会システムに対する不愉快な気持ちと相まって、人と人との交流の楽しさを強く感じた思い出になりました。
目的の駅に着くと、最後は握手やハグをして別れを惜しみました。
初めて見た故宮の衝撃
中国の南部の都市をいくつか巡り、二週間ほどかけてようやく北京に到着しました。そして旅の最大の目的である故宮を目にした瞬間、私は完全に度肝を抜かれました。
京都御所には何度か行ったことがありましたが、比べものにならない圧倒的な規模です。「国とは、文明とは、ここまで巨大になり得るのか」と、想像を超える大きさにただただ驚きました。ラストエンペラーのことも自然と想起されました。
翌日、景山公園から故宮を見下ろすと、黄色い屋根が果てしなく続く光景が広がっていました。その景色を前に、絶対的な権力を誇った皇帝の偉容と、そこから転がり落ちた儚さを思い、胸が締めつけられるような感慨を覚えました。
天安門広場、頤和園、万里の長城なども訪れ、改めて驚嘆しました。日本人にとって中国は多くを学べる偉大な国であり、日本文化の基礎の一部はここから受け継がれてきました。明治維新以降の約百五十年ほどは両国の関係が変化しましたが、それ以前は常に中国から学んできたのです。その偉大さの一端を目の当たりにし、同時に「改革開放」に舵を切った中国のこれからの可能性を強く感じました。
あの旅が人生を変えた
その後、アジアを中心にいろいろな国を旅しました。その中でも、やはり中国が強烈に興味を引きました。嫌な思いもしましたし、腹も立ちました。でもなぜか一番惹かれたのです。何だかんだ言って人情味のあるところもありました。大学生のうちに三回中国へ旅行し、留学を決意して東北地方の学校で一年間中国語を学びました。帰国後は中国で事業展開する会社に就職し、今に至ります。中国は、私の人生を変えた国と言ってもいいでしょう。
中国では十年以上過ごしました。旅行を始めてから30年以上にわたり変化を見てきました。今も北京にいます。
そんな私としては、現在の日中関係が微妙で、お互いをよく思っていない現状に心を痛めています。私の友人たちが私にしてくれたように、国と国の関係がぎくしゃくしていても、楽しい面や親しみはあると伝えたいと思います。中国に興味を持っている方や、これから赴任する方、来たばかりの方、留学生の方々に、私が知っている中国を紹介できたらうれしいです。中国の魅力を少しでも多く伝えたいと考えています。
このブログで書くこと
このブログで書くこと
- 中国生活ガイド…渡航準備、決済、通信、VPN、生活アプリなど、新任駐在員やその家族が最初に知っておくべき情報
- 北京ローカル探訪…私が住む北京の胡同、公園、ローカルグルメなど、街歩きレポート
- 中国ディープトラベル…旅行記。特に日本人があまりいかないところをレポートしたい
- 中国歴史・文化…学習の一環として歴史や文化の解説(入門レベル)、また映画や音楽、漫画などの情報
- 中国デジタルライフ…WeChatやAlipay、ガジェットなど
- 写真で見る中国…街並み、風景、人々の暮らしなどの写真
気の向くままに、現代中国を綴っていきます。
最後に
故宮の瓦の色、寝台車で交わした筆談の一言、路地の匂い――私はこのブログで現地で見聞きした小さな出来事を伝え続けたいと考えています。日中の関係がどうであれ、人と人の交流が生む温かさや驚きは消えません。今も北京で仕事をする駐在員として、日中の架け橋になるべく、読者の役に立つリアルな中国情報を発信していきます。
映画『ラストエンペラー』や『覇王別姫』が示すように、歴史の大きなうねりの中で個人の物語は儚くも鮮烈に残ります。私が見た小さな出来事は、その一片です。これからも、観光ガイドには載らない日常の細部、生活の知恵、現地で出会った人々の声をできるだけありのままに届けます。読んでくださるあなたが、少しでも中国を身近に感じ、旅や赴任の準備に役立てていただければ幸いです。
影法師/Kageboshi 2026年8月1日
